日々:その三十九

12月1日(金)

気づくといつの間にか師走に。

本を読む。

雑誌を読む。

音楽を聴く。

大切な人々を思う。


12月3日(日)

取材当時89歳の菊池さんが「都営霞ヶ丘アパート」に引っ越してきたのは1989年のこと。アパートは建て替え前の競技場から目と鼻の先だった。2009年の「東京五輪招致活動」の際は、菊池さんは胸を躍らせ、「東京で五輪をもう一度」と、商店街にのぼり旗を立ててまわり、積極的に招致活動に加わったそうだ。そして、13年に今回の五輪開催が決まった時には心から喜んだという。ところが、当初は「コンパクト五輪」ということで改修で済むはずだった競技場が立て替えられることになり事態は急変する。故ザハ・ハディドが設計した8万人収容の新競技場は結果的に、菊池さんのアパートをのみ込む形だということが判明したのである。その後、莫大な建築費の問題がメディアで大きく取り沙汰され、最終的にザハ案は白紙撤回された。それでもアパート解体の方針は変わらず、住民たちは立ち退きを迫られることになった。反対の声を上げたのは、約130世帯のうち菊池さんを含むわずか5、6世帯。町内会が移転を引っ張る中で菊池さんたちは圧倒的な少数派だった。高齢の住民が多く、ほとんどの人たちは諦めることを迫られていたのだ。そして菊池さんたちの悲痛な叫びは無視された。別に何が何でも転居に反対だったわけでないと、転居先の都営アパートの一室で菊池さんは当時のことを振り返る。実は、菊池さんは勤め先の工場で事故で若いころに利き腕の右腕を失っている。左腕にも障害がある。荷物は高いところに上げられず、その代わりに色々な荷物を床に置くためのスペースが必要だった。霞ヶ丘アパートの間取りは2DKだったそうだ。「だから新居は同じ程度の環境にしてほしい」。それがせめてもの願いだった。ところが、独り身であることを理由に1DKの部屋に移るよう命じられた。さらに追いうちをかけたのが都からの補償金だ。その額はわずか17万1000円。引越し代にもならない。金が全てではないがオリンピックの開催には総額3兆円もかけているのに、こんな理不尽な話があるだろうか。このてんまつを記録し、2021年の夏に全国公開されたドキュメンタリー映画「東京オリンピック2017 都立霞ヶ丘アパート」(青山真也監督)には、16年の真冬、菊池さんが引越し代節約のためにリヤカーに必死で荷物を載せ、一人で新居まで引いていくシーンがある。その横を高校生とおぼしき野球部の集団が走りすぎてゆく。困った老人に手を貸すどころか邪魔だと言わんばかりに。冷酷さに胸が締め付けられた。それから5年。住民たちは主に三つの都営アパートへバラバラになり、霞ヶ丘アパートのコミュニティは解体された。高齢での引越しはストレスも大きく、新天地に慣れないまま亡くなった人も少なくないという。「もっと、高齢の住民に配慮した移転方法があったのではないか」と長期にわたり彼らを見続けてきた青山監督は憤る。では現在、霞ヶ丘アパートが建っていた場所や隣接していた明治公園はどうなったのか。青山監督の案内で跡地を歩いた。フェンスで囲まれていて入ることはできなかったが、そこには五輪報道用の特設テレビスタジオや建設会社の仮設事務所が建っていた。そしてそのすぐ隣には、新しく建った、高級分譲マンションのザ・コート神宮外苑、日本オリンピック委員会(IOC)の事務所などがある「ジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア」、日本青年館という3棟の高層ビルが私たちを見下ろすようにそびえていた。さらに今後も建設ラッシュが続く予定だ。国立競技場に建て替えに伴う再整備によって、この辺りの高さ制限は15メートルから80メートルまで大幅に緩和されたという。だがここでのポイントは、競技場にいくらなんでも80メートルの高さは必要ないということだ。つまり高層ビルのための緩和だったのではないか。しかも霞ヶ丘アパート跡地を区画道路にすることでマンションの建ぺい率と容積率を最大限に利用可能にしたと青山さんは指摘する。

斎藤幸平著「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと戦い、水俣で泣いた」

’五輪の陰 成長へひた走る暴力性’より抜粋。

全くもって言葉が出ない‥。

気力を無くしてしまう。

本を閉じ、老眼鏡を外してしばらく瞼をつぶる。

私は疲れてしまった。

疲れてしまった。


12月4日(月)

7時起床。

珈琲を淹れる。

BGMはYo-Yo Ma’バッハ Cello Suites Nos 1,5&6’

店長Gから誕生日プレゼントにもらった写真集を眺める。

目線の先には本棚があり、

これまた誕生日にスッタフSからもらったリヒトミューレが飾ってある。

幸せに包まれている。


12月5日(火)

買い出しの途中、小一時間空いたので、どこかで本を読むか事務作業をと思い、車を走らせていると大きく’M’の看板、マクドナルドへ入店した。

数億年ぶりにメニューを眺めたが、眺めたところでどこに何が表示されているか四苦八苦してしまう。

結局、ホットコーヒーのみを注文。

昼時もあって店内は混んでいた。

ハンバーガーとポテトの匂いが店内に充満しているが、全くもって食べたいと思わない自分がいる。四人座れるボックス席に座ってしまい、申し訳ない気持ちに。

ある時期、贔屓にしていたホテルがあって半年に一度訪れていたグアム島。

タモンベイにはバーガーキングがあって、訪れるたびに食べるのを楽しみにしていた。

あの時の自分はどこに行ってしまったのだろう。


12月14日(木)

パスポートの申請。いつもの5年間用パスポート。

10年パスポート、なんだか色そのものが馴染めなくて毎回5年用にしている。

あと、10年先ってなんだかイメージが湧かないんだよね。

旅の目標設定も5年先くらいまでがちょうど良い。

夕方、ディスクユニオンへ。

驚いた。

探していた、高柳昌行’もうひとつの自転するもの’見つける。

しかしながら、三万円以上の値がついている。

誰が値段を吊り上げるのか。

コレクターってのは総じてお金をいくらでも出して買い求めるのだろう。

私はそんな気にはなれないし興味がない。

ご縁がなかったと諦める。

500円と450円のレコードを2枚購入。


12月17日(日)

恋愛も死もどこからともなく唐突にやってくる。

準備ができないことが多い。

夕食は、蕎麦屋へ。

瓶麦酒と熱燗。

彼の死を思ったり、最近気になる人の事を想ったりする。

そんな逡巡する心を、板わさの横に鎮座する山葵で掻き消したい気分の日。


12月18日(月)

起き抜けにoasisのセカンドをターンテーブルに。

このバントの音楽病に犯されて約30年。

まだまだついてくよ。

夕方、年に一度の恒例行事。

取り寄せた蟹を食卓にて囲む日、黙々と淡々と。

キリッとした日本酒が五臓六腑に染み渡るのであった。


12月19日(火)

9時。ファミリーレストランで雑務をこなす。電卓を叩く。

夕方、自宅にて映画’ほつれる’鑑賞。

終盤の’木村くんに会いたい’ってセリフに参ってしまう。

自分が言われたら結構辛いなーなんて思った。

最終シーンの街並みが自分の知る土地(幕張新都心)で映画の世界から、

一気に現実に戻ってしまい、冷めてしまう。


12月20日(水)

キックバックって、なんとなくゆるいような言い回しだけど、結局裏金ですよね。

知らぬ存ぜぬなんて許されるものではない。各々の政治家の棒読み釈明に私は頭にきている。

社会を牛耳る権力者は、我々一般庶民に対して都合の悪いことは決して教えてくれない。もちろん、学校でも教えてくれない(エッジの効いた美術や音楽の先生とかがいれば教えれくれるかも)。幼少期からの刷り込まれた価値観を覆すには、自ら疑問を持ち、自ら学び、そして行動に移すしかない。

あとは信用できる人間を見つける事が大切だ。

自分の幸福度は人々との関係性が重要となってくる。

数字で表せるものなんて、たいていどうでもいい。


12月22日(金)

冬はどうしても出不精になる。

こんな時期こそ街へ出て、好きな酒場に顔を出し、

共鳴する人々と酒食をともにして自分の居場所を忘れないようにする。

人生を楽しむ。

老いることを恐れずに。


12月25日(月)

暮れが近づくと、ここ数年思い出すことがある。

2015年の暮れは、都内某所で雑務に追われていた。

その日、結局終電をなくした私は、一人、街を彷徨っていた。

佇まいの良さそうな居酒屋が視界に入る。

酒でも飲んで始発を待つか、、。

静かに暖簾をくぐると、コの字のカウンター。この店にBGMはなかった。

向かい側には先客が二名。

夫婦と思しき男女が酒を酌み交わしている。

一瞬にして私は見惚れてしまった。

女性は艶やかで、清く姿勢を正し、ゆっくりと熱燗(だと思う。徳利だったから)を飲っていた。

男性は少し酩酊気味だが、とても楽しそうで幸せな顔。

夫婦の酒の交わし具合を恍惚と眺めていた私に、唐突に夫が私に話かけてきたのである。

夫『君、音楽は好きかい?』

私『もちろんです』

夫『僕はここに(居酒屋)訪れる前に自宅でジミ・ヘンドリックスを聴いていたんだよ。君は普段どんな音楽聴いているの?』

私『色々拝聴しますが、今夜は終電を逃してしまってここ(居酒屋)に辿り着いたんです。今はフランク・ザッパを聴きたい気分ですね。』

夫『終電を逃した君。ザッパのどのアルバムが聴きたいかい?』

私『(少し考えて)ザッパのソロ二作目。『ホット・ラッツ』ですね。今夜は、もうどうにでもなれって感じです。』

私の答えを聞いたあと、夫の少しニヤけた顔が印象に残った。

隣の奥様は夫と私のカウンター越しの音楽談義にゆっくりを頷きつつも、

会話には入ってこない。私は終始平静を装う。

夫(隣の奥様に対して)『いい?一緒に』と。

奥『はい。喜んで(ニコッと笑顔で)。』(私はもう完全にノックアウト状態)

夫『君、こっちの席来て、よかったら三人で飲もうよ』

私『ありがとうございます。』

カウンター越しに佇む愛らしいご夫婦は、

沢田研二さんと田中裕子さんだった。

私はこの真冬の気絶しそうな出来事を、いまだに’夢だったのではないか’と思っているのだが、

日付の入った彼のサインやメモを所持しているということは’本当の出来事’だったという事だろう。


12月31日(日)

楽しさや美しさ健やかさよりも、なんだか悲しみが勝る一年だったような気がします。

私はささやかですが、毎日祈っています。

そして今後も祈り続ける事でしょう。

どうか、周りで困っている方がいたら助けて下さい。

困っている人は遠慮なく声をかけて下さい。

手を離さないで下さい。

一人一人の支え合いがあれば、その日は少しだけでも幸せになれると信じていいます。

今年も一年ありがとうございました。

日々:その三十八

11月1日(水)

2023年があと2ヶ月だなんて‥。

信じられない。


11月2日(木)

常夜鍋。

取り寄せている昆布しょうゆと共に。


11月3日(金)

愛車の修理が終わったと整備会社から連絡。

朝すぐに引き取りに。

古い車だから所々に修理が必要。

それなりに痛い失費であるが、とても気に入ってる車だから大切に乗って行きたい。


11月6日(月)

朝8時半。職人の出勤時間はきっちりとしている。

店の3階、内装工事の進捗状況と要望について立ち会いミーティング。

昼時、店長Gと待ち合わせ。

先週は怒涛の忙しさであった為、美味しいハンバーグでも食べようと提案。

瓶ビール、赤ワイン。

前菜にサラダ、鉄板に乗せられたハンバーグを堪能し解散。

夕方は実家へ。

食卓にはハンバーグ…。

何があっても実家で食べるご飯が一番。

幸せを噛み締めながらいただく。


11月7日(火)

7時起床。

8時半に自宅を出て店の買い出し、直売所3軒を回る。

季節の移ろいとともに野菜にも変化が現れている。

いつものレジのおばさまに’おはようございます!!’と、ご挨拶。

おばさまからもありったけの笑顔で挨拶をいただき、

そして、’余ってるから持ってて~’とミニトマトをいただいた。

こういうのって都会のスーパーでは絶対に有り得ない。

僕らは機械ではない。

人間対人間なのだ。

次来る時には店の塩きなこクッキー持ってきますね~!!と返事を返す。

帰宅後、簡単にご飯を済ませて鴨川方面へ。

いつものホテル、7階に鎮座する海の見える日帰り温泉へ。

この時間はほぼ貸切状態(というかこの時間を狙って伺っているのだが)でとても気分が良い。

ゆーっくりと、潮風と海の音を感じながらの露天風呂。

サウナも良いけど、やっぱり風景を眺めながら入る風呂が好きだな。

熱った身体で安房鴨川駅前のイオンへ。

2階の隅っこに設けられたCD安売りコーナーで、テレサ・テンのバラード集とアリスのベスト盤のCDを購入。

小腹が空き、名店立喰そば(実際には座り席)’両国’にて遅めの昼食。

21時就寝。

身体を休める日。

メンテナンスの日。


11月9日(水)

最初に言っておくと、文句ではなく(政策、増税などはまた別の話として‥)

提案です。

総理。

原稿見てないで、自分の言葉で話してみるのはいかがでしょうか。

間違ってもいいじゃないですか、修正して謝れば。

事前に用意した原稿はすでに半分死んでいます。

それ(いつも)棒読みでしょ。

気持ち伝わりませんからね。

強烈なリーダーシップが必要だと思うんですよね。

逆にチャンスですよ、今(もう無理かなぁ‥)。


11月10日(木)

大迫選手の記事などを拝見すると背筋がピンとなります。

マラソン選手というカテゴライズではなく、人間力がとても大事なんだと思う。

突き動かす力だったり、そんなのものを私は大迫選手から勝手に学んでいる。

一人の表現者として、とても尊敬している。


11月12日(日)

空気公団のライブ。

9月の日記で前出した弊店ライブスタッフのAくんが今回も出勤してくれる。

周りも見えていて(緊張はしているけど)、

しっかりと良い動きをしてくれてとても感謝している。

彼は現在大学3年生。海外に行ったことがないそうだ(それはそうだよね‥一番時間のある時期がコロナ禍直撃だったもんね)。

来年行う予定の弊店が企画する韓国ライブ公演に、私は彼を同行させたいと思っている。経験をたくさん積んでほしい。

まだ見ぬ知らぬ土地を体感して、緊張しながらもゆっくりと呼吸してほしい。


11月13日(月)

昨日のライブの余韻を残しつつ、早朝に自宅2帰着。

すぐさま身支度を整えて、410号線を南下し大山千枚田近辺の目的地のマーケットに顔を出す。

思ってた期待と収穫はなし。まぁ、これはこれでOK。

行動、行くことが大事。

ここからはあてのない旅。

地図をパラパラとめくり行ったり来たりしていると、完全無農薬みかん園へたどり着いた。

嘘のような本当の話で、標高の高いそこには絶景が広がっていて、

園主のありがたい計らいで、図らずもその場でみかん狩りもさせてもらった。

もぎったばかりの完全無農薬みかんは、癖になりそうな酸味がありとっても素晴らしい味だった。

今はすぐに情報を探せる時代だけど、そこにあるとわかってたどり着いてもとてもつまらない。

みかんを頬張りながら、ネット検索では絶対にたどり着かない事実がやっぱり存在することを確信した。


11月14日(火)

ホン・サンス’逃げた女’鑑賞。

キム・セビョクがこちらに振り向いた瞬間、ドキドキしてしまう。

もっとも好きな女優だから。

3人の女友達と再会。女たちの迷いと優しさ。

ストーリー中、何度も話に出てくる出張中の旦那や別れた旦那、上に住んでいる最近気になっているという別居中の男性は劇中に一度も登場しない。人の気配が余韻に残る印象深い映画だった。


11月15日(水)

横田めぐみさん北朝鮮拉致から46年とラジオから。

母親の横田早紀江さんのコメント、

’一日も早く返して’

’救出するために全国で公演や著名活動を行い、歴代の総理大臣にもお願いし続けてきたのになぜこんなにも動かないのか不思議でなりません。まったく進展がないいらだちとむなしさと悲しい気持ちでいっぱいです’

おそらく日本人の大半が周知しているであろうこの事実。

私の記憶が正しければ、日朝首脳会談が行われたのは、

小泉政権の2002年と2004年だったと思う。

約20年の間、政府は何をしてきたのか。

私には理解できない。


11月17日(金)

日経新聞

’ビッグモーター買収検討、創業家関与なしが条件’

まぁ、商社は、ほっとかないよね。


11月18日(土)

共同通信

’機密費でIOC委員に贈答と発言 五輪誘致で馳浩知事、後に撤回’

’石川県の馳浩知事が17日、東京都内の会合で講演し、13年に開催が決定した東京五輪の招致活動で、開催都市決定の投票権を持つ国際オリンピック委員会(IOC)委員に対し、内閣官房報償費(機密費)を用いて贈答品を渡したと発言した。馳氏は同日夜「誤解を与えかねない不適切な発言であり、全面的に撤回する」とのコメントを出した。公表されていない機密費の使途に言及するのは異例。贈り物の授受が事実ならIOCの倫理規定に触れる可能性もある。自民党で東京五輪の招致推進本部長だった馳氏は、当時の安倍晋三首相から「必ず勝ち取れ」「金はいくらでも出す。官房機密費もあるから」と告げられたと述べた。当時100人余りのIOC委員に対し、それぞれの選手時代などの写真をまとめた1冊20万円のアルバムを全員分、作成したと説明。「それを持って世界中を歩き回った」と話し、棒高跳びで活躍したセルゲイ・ブブカ氏らに渡したとした。会合はスポーツ振興に関するフォーラムで、全国の自治体関係者ら約90人が参加。報道陣にも公開されていた。’

汚職のオンパレードですね。

「金はいくらでも出す。官房機密費もあるから」

「一冊20万円のアルバム」

気持ちわるすぎ。

本当におわってる。最悪。


11月22日(水)

会食。

経営論、税理士、節税、経費、インボイス。

飲み物が麦酒から赤ワインに切り替わったあたりから、

気づくと全く違う恋の話や旅の話へとシフトチェンジしていた。

酒場を3軒はしご。

不思議と酔ってはいない。


11月23日(木)

浪漫革命のライブ@渋谷WWW。

大好きな5人組、このまま突っ走ってほしいな。

奏太くん、お誘いありがとう。


11月27日(月)

疲労した身体、熱いシャワーを浴びるようにJAZZを聴きたい。

自宅2への帰り道。

アートブレイキーのアルバム’アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズ’を車中爆音で。

リー・モーガンのトランペットが愛車全体にに響き渡る。

遡る事、1972年。

場所は、ニューヨークのとあるジャズクラブ。

内縁の妻から拳銃で撃たれてこの世を去った当時33歳の稀代なトランペッター。

魔都、マネー、音楽、夜、酒、女、ドラッグ、裏切り。

夜が始まる前に散歩へと出かけた。

今夜は満月だ。


11月28日(火)

Q:今、一番欲しいものは何ですか?

A:’時間です。’

休みは無い。私の生き方には。

規定の社会に属さずに自分で仕事を選択をし、

表現者として生きていくと決意したのは自分自身なのだ。

行けるところまで行き、やれるまでやる。

明日のことなんてわからない。

今日を生きるんだ。

それが明日に繋がるんだ。

日々:その三十七

10月1日(日)

どんとに会いたくなるんだ。今日はそんな日。

私は、どんと、こと久富隆司に長く心酔していた時期がある。

歴史や思想、全てをまっると覗いてみたくなる。そんなような人物だと思う。

自宅2への帰り車中。

ボガンボス、京都磔磔88年のライブ盤を。

まさに蔵出しの一枚。

演奏の技術(とはいえ、メチャクチャに上手いです。KYONさんの存在が大きいと思う)や歌詞や歌声は関係ない。

もっともっと別次元へ連れて行ってくれるロックがここにはある。

有無も言わずにかっこいい。

それだけでいいのよ、音楽ってやつは。


10月4日(水)

映画’リメンバー・ミー’鑑賞。

ミュージシャンを夢見るギター少年の素晴らしい映画。(これはディズニー映画なのかな??)

メキシコに思いを馳せる。

その昔、数年季節を分け合った彼女がメキシコで最も有名な祭り「死者の日」に向かうべく、ミチョアカンに向かった。

帰国日、とても暗い顔をしている彼女に何かあったのか尋ねてみると、

地元で知り合ったメキシコ人男性と一夜を共にしたという。

’まぁその感覚、わからなくもないよ。’と伝えると、なんとも言えない顔。

この世の中、言ってもよいことと言わなくてもよいことがあるのはわかる。

ただ、そこがとっても難しいのよね‥お互いに。

映画を観ながら、久方ぶりに思い出した遠い日の記憶。


10月5日(木)

命日。

あなたがこの世からいなくなってから3年も経ってしまいました。

やっぱりまだまだ泣いたり挫けたりしているんです。

心でも泣いています。

寂しいんですよ。


10月6日(金)

朝の掃除。

ここ最近一気に枯葉が多くなった。街ゆく人も衣替え。

春夏秋冬、外の掃き掃除は季節の移ろいを私に教えてくれる。


10月7日(土)

Q’もしも生まれかわったら何になりたいと思いますか?’

A’生まれ変わったらまた自分に、とは思いません。蝉なんかいいですね。成虫に至るまでに土の中で多くの時間を費やして一週間で果てる。そういう生き方も面白そうです’

イチローさんへのインタビュー。

大変に興味深い。


10月8日(日)

ウクライナ-ロシアの紛争に先が見えない中、イスラエル-ハマスが戦争状態との重いニュース。

バックパッカーでアジアを回っていた頃、

タイからラオスに入国するため国境付近のファイサーイに一週間ほど宿泊していた(何もない田舎町、今はどうなんだろう。もう一度訪ねてみたいな)。

ゲストハウスの中庭でイスラエル人の女性(名前を忘れてしまった。ごめん。)と仲良くなった。

少し年上の彼女はいつもマリファナを吸っていて、気分はいつもハイでゆっくりとして落ち着いていた。

’KO(海外で自己紹介するときにKOHEIだと長くて覚えにくいので、KOと名乗っていた。)も一緒にマリファナどお?’

’日本は素晴らしい国なんでしょう?’

’今日もランチ一緒に食べようよ’

’神様は信じている?’

’今夜も一緒に散歩に出かけようね’などと、いつも気にかけてくれていた。

同じ地球上でも美しくて眩しいと思う世界が存在する反面、殺戮を繰り返すとんでもない世界が広がっている。

そしてそこには、資本主義や宗教が複雑に絡んでいる。

悲しいけど、現実は一つではないのだ。


10月9日(月)

整理番号322番。

静岡、浜松。サニーデイ・サービスのライブへ。

終演後の楽屋、バタバタしている中、曽我部さんが握りしめていたセットリスト、

それを私に無言で手渡してくれた。

自分自身の心臓の高鳴りが聞こえた。

ライブハウスを出ると、雨だった。

傘はない。

濡れないようにもらったセットリストをシャツの中に大切にしまい、

走ってホテルに向かう最中、心底はるばるとここまで来てよかったと思った。

ひょっとしたら、私の青春はまだ続いているのかもしれない。


10月11日(水)

藤井聡太棋聖、8冠タイトル達成。

まだまだお若いでしょう。

これからが少し心配‥。


10月12日(木)

多くの人は失敗したら恥をかくと感じると思うんだけど、意外と恥はかかないです。

そんなこと誰も気づいていないし、誰も気に留めていないから。

この先も私の失敗は続くけど、いかなる場合も諦めません。

いつだってトライ&エラーを繰り返すのみ。


10月12日(木)

どういうわけか、何年かに一度の空前の写真集ブーム到来。

きっと自分自身が旅に出始めたからだと思う。

風景を切り取る感覚が今はとても面白い。


10月13日(金)

もっとも大切な人の誕生日。

人生を歩むこととは、自分を本当に必要としてくれる人に支えられているということだと思う。

いつもありがとう。


10月14日(土)

Hさんから廃盤のレアなCDを借りる(いつもありがとうございます)。

’My Foolish Heart’チェットの素晴らしい歌声に感涙。

チェット・ベイカー、オキ・ヨハンソン、トゥーツ・シールマンスの偉大なる個性の選逅。

チェットとヨハンソンの録音は’Live in Sweden’1983年のものが残されているが、

これはその2年後、同じくストックホルムで録音された作品。

自分の聴いたことのない音楽(JAZZ)がまだまだある。

これだから、JAZZはやめられないんだよなぁ。


10月15日(日)

少し立ち止まってみませんか。

きっと違った景色が見えるはずですよ。


10月16日(月)

実は昨日から’怪しいな’と思いつつ知らぬふりをしていたが、

朝起きてみると、やはり体調が芳しくない。

熱を測ると38.5度、10時にもう一度測ってみると39.5度だった。

さすがに立ち上がれない程になってしまう。

携帯で近隣の病院を探し、タクシーをつかまえ町医者へと向かったのは午前の診察が終わりかけの時間帯。

私「初診なのですが」

受付看護婦「ネットで予約はしましたか?」

私「??しておりません。」

受付看護婦「初診はネットで予約してもらわないと受診できないんです。」

私「今、熱が39度を超えておりまして、なんとかならないでしょうか?午前の診察時間には間に合っていますし‥。」

受付看護婦「無理ですね。規則なので。」

意識は朦朧としていたが、大体こんな話の内容だったと思う。

「ネットで予約はしましたか?」「無理ですね。規則なので。」

「ネットで予約はしましたか?」「無理ですね。規則なので。」

「ネットで予約はしましたか?」「無理ですね。規則なので。」

「ネットで予約はしましたか?」「無理ですね。規則なので。」

「ネットで予約はしましたか?」「無理ですね。規則なので。」

「ネットで予約はしましたか?」「無理ですね。規則なので。」

脳内でおぞましくリフレインする看護婦の言葉。

熱さと寒気とめまいの同居する身体と心を奮い立たせ、泣きながら再度自宅を目指した。

夕方、別の病院で検査を受ける(コロナ・インフルエンザ共に問題なし)。

’朝から一人で大変だったでしょうに。もう大丈夫よ。今日はとにかく安静にね。’

笑顔がとても素敵な看護婦さん。

この世界に天使は必ず存在する。


10月19日(火)

天使のおかげですっかり回復の兆し。

寝ることを意識するようになって何年か経つ。

’私は睡眠力は幸福力ではないかとと思っている’とは水木しげる先生の大名言。

体調は崩れてしまうもの。

日々注意が必要だ。


10月18日(水)

心を支えるのは身体。

身体を支えるのは心や想い。

世の中、足の引っ張り合いだらけで悲しい。

Q’世界平和のために、私は何をしたらいいでしょうか?’

A’あなたの家に帰ってあなたの家族を愛して下さい。’

マザーテレサの回答。

まずは目の前にいる人を、ですね。


10月20日(金)

ユニクロの柳井社長は、大学2年生の時、100日間で世界を一周する旅に出た。

100日間で世界を一周する旅は、世界は今こうなっているのかと実感する経験だったという。

非常に貧しい国の現状も自分の目で見ることができたとも。

そしてこの100日間がのちに世界で展開する仕事へとつながったのは間違いないと言っている。

人生の100日間。

旅に出るのか出ないのか。大きな経験の違いになるのは明白だろう。

旅先で徹底的に孤独になり、

寂しさや自分のちっぽけさ、人の優しさや家族の尊さなんかをあらためて自分にインプットする。

たとえ100日じゃなくても、行くか行かないのか。

それだけだ。


10月27日(金)

生まれた日は、昭和52年10月27日木曜日の大安、朝方だったそうだ。

自分自身、また一つ歳を重ることができた。

貧乏は大いに結構。見栄っ張りや貧乏臭くはなりたくない。

上品になることはできないかもしれないが、下品にはなりたくない。

朝方、’産んでくれてありがとう’と母親に感謝のメールをした。

夕方、’こちらこそありがとう。いつも心に太陽を持ち続けて自分らしく一生懸命生きて下さい’と母から。

携帯電話を強く強く握りしめた46回目の誕生日、夕暮れ時。




10月30日(月)

スリランカ・シーギリア。

また一つ行きたい土地が増えてしまった。

旅をして、まだ見ぬ自分自身に会いに行くか。


10月31日(火)

やっぱり仕事に関していうと最終行程を機械に任せたくない。

飲食店での食事の配膳やお会計のセルフレジ、

ロボットが少し冷めつつある食事を持ってきたり、

’ご来店ありがとうございました’と、どこに発しているのか定かでないような言葉を機械に言われてもね。

食器を洗うにしても、カトラリーやグラスを磨くにしても、どこにだって最後は人の優しさが必要だと思う。

対面でありがとうございます。当たり前だけどとても大切なこと。

商売人として、その前に人として。

そんなことを考えながら、私自身、明日からもカウンターに立ち続けようと思っている。