元日 / 渡韓日記

1月1日(月)

元旦というこの日が、我々日本にとって、

一年のいかなる日よりも大切な意味を持っているというのに。

しばらく言葉をつむぐのはやめようと思う。

心で祈る。

これからの人生の問いかけが始まった。




渡韓日記

1日目

10時半、成田空港へ向けて出発。羽田から出発の予定が、普段使用するANA(全日空)、自分の凡ミスでフライトチケットの取得に失敗。急遽、LCCにて仁川空港へ向かう事に。いつもの旅の相棒、RIMOWAのスーツケースはやめて、初心に戻りパックパック(PORTER ’EXTREMEシリーズ’)で行くことにした。デジタルカメラ、今回はリコーのGRを。第三ターミナル到着、まずはサッポロ黒ラベルを一本。本を忘れたことに気づき、空港内の書店で文庫本を一冊購入。さよなら日本、行ってきます。上空から、大切な人を思う。当たり前に人を大切に、難しいけど自分も大切に。日本列島を上空から眺める。被災地の方向へ目を閉じてそっと手を合わせた。
仁川空港到着。着いた瞬間、韓国の匂い。そうそう、この感じ。空港にてSIMを入れ替えてみたものの回線不可。何度やっても回線不可、不可、不可。一瞬にして頼みの綱は無くなった。まぁいいか。昔は携帯電話なんてなかったしー。イミグレーションすんなり通過。さてと、ここから電車で向かうか、バスで向かうか、タクシーで向かうか。スマホで調べることができないぞ~(いいねぇこのヒリヒリ感)。右ポケットに入れたと思っていた、お金(ウォン)も、どうやら忘れたらしい。もう、笑うしかないな。記憶を頼りに、仁川国際空港第一ターミナルから高速鉄道に乗り(韓国版Suicaのようなもの持参)。まず目指すのはホンデ駅だ。成田空港で購入した文庫本、デジタルメディアシティ駅を過ぎたあたりで読了。どうしよう、すでにここで読む本が無くなってしまった。車中の広告を眺めているうちにホンデ駅に到着。ここから地下鉄4号線に乗り換えてシンチョン駅に到着。7番出口のエスカレーターを登るきると、極寒の突風がお出迎え。サンキュー、好きだぜこの寒さ。駅前の屋台でおでんをつまみたいところだが、まずはホテルにチェックイン。12階からソウルの街並みを眺める。そういえば私は何をしにここに来たのか一瞬忘れてしまった。そうだそうだ、友人のカフェの24周年を祝いに来たのだ。今夜はその店で記念ライブが開催されるのだが事前情報ではチケットはソールドアウト、もちろん予約はしていない笑。今回の渡韓は、ソウルの友人には誰一人にも言わず内緒で来ている。エントランスで「今夜の公演はソールドなんです、残念ですが入店はできません」なんて言われても仕方があるまい。そしたら映画でも観に行って、二、三度訪れたことのある’ウッドストック’というミュージックバー(リクエスト可能、前回の旅ではピンクフロイドを爆音でお願いした)でも行ってみようか。なんてったって何をするにも自由の身(外は寒いけども‥)。寒空のソウルの街を一人歩く。小腹も空いてきたしそのこ小道の角にある’キンパ天国’(お店の名前)でチャムチキンパを食べたいなぁ、なーんて思っているうちに、友人の店’空中キャンプ’に到着した。すんなりとエントランスを通過、友人、目をまん丸くしてしてお出迎え。そりゃ、びっくりするよね。結局、すぐにカウンター内に座りアコースティックライブを堪能させていただく。終演後、友人のヒョクとパートナーのジンソン、ヒウォンが’どうやらコウヘイがキャンプにいるらしい’との情報をキャッチして、タクシーで駆けつけてくれた(感動、嬉しい!!)。抱き合いながら感動の再会。ビールで何度も何度も何度も乾杯。とっても嬉しい瞬間。’コウヘイ、明日の予定は?’とヒウォン。ノープランだと告げると、美味しいランチを食べに行こうと言ってくれる。もちろんOK。明日、12時にハプチョン駅の11番出口で待ち合わせることに。ライブ機材をスタッフと共に片付けて本日は終了。ホテル帰着は朝5時半過ぎ。ホテルの寝室でふと思う。私の人生は何処へ向かっているのだろうか。充実しすぎていて夢のようだ。


2日目

どういうわけか、二日酔いはない。そして私の携帯電話は相変わらず通信を許してくれない。シンチョン駅前(下北沢?のような場所)のホテルから隣のホンデ駅まで時間にして30分くらいだろうか、ゆっくりと歩いて向かうことにする(ちなみに数年前、この30分間の道のりを共に歩いたことがある人がいる。曽我部恵一さんだ。大切な思い出。)。駅と駅の中間地点、ひっそりとした裏通り、個人的にかなり影響を受けたカフェがあったのだが、残念ながら閉店(厳密には栄転と後に気付く)していた。途中、テイクアウトの珈琲屋(ソウルの街はたくさんコーヒーショップが存在する)で、アメリカーノを注文、とんでもなくサイズが大きくてそして熱い(そうだった、これも韓国スタイルだよね)。大都会のホンデ駅(渋谷?新宿?のような場所)から地下鉄にのりハプチョン駅に到着。無事にヒウォンと再会、彼女はビオラ奏者でスポーツ万能。最近は水泳に夢中のようだ(今年の夏にまた渡韓する際に、韓国のプロ野球を一緒に観にいく予定だ)。ビルとビルの合間を抜けてお目当ての店に向かう途中、ヒウォンが大声で’コウヘイ!!アーバンラット!!’と叫ぶ。我々の目の前を通り過ぎる都会のネズミ一匹。’アーバンラット’って良い響きだなぁと思った。’食同屋’毎年のようにミシュラン(2018年から毎年)を獲得するお店だそうだ。到着するとすでに長蛇の並。ここでヒョクとジンソンも合流。予約受付を済ませて、近くのカフェ’Beliecoffee roasters’へ移動。ヒョクに携帯のSIMが使えない旨を相談すると色々と設定をみてくれる。ヒョクは素晴らしいギタリスト、そして作詞作曲も手がけており、作家として本も上梓している。おまけに機械にめっぽう強いとても大切な親友。美味しいクロワッサンをシェアし珈琲を飲みつつ、談笑しつつも私の携帯と格闘すること1時間、私の携帯はヒョク手腕によって無事にSIM開通となった!!その瞬間、四人で立ち上がってみんなで手を叩きあい喜ぶ(周りのお客様、大変失礼しました)。早速、今夕に渡韓する店長Gに連絡して待ち合わせ場所を決めた(携帯使えると便利~)。あ、’食同屋’の澄んだスープのデジコムタンはとっても美しくて衝撃的でした。そして店の面構えも本当に素晴らしく勉強になりました。食後、一旦、ヒョク、ジンソン、ヒウォンを別れた私は、地下鉄に乗りホテルをチェックアウト。本日のゲストハウスにチェックインして、シンチョン駅の改札出口で店長Gと無事に合流。’とりあえず何食べたい?’’やっぱり最初は焼肉でしょ~’と店長G。だよね。いつもの焼肉屋へGO。焼肉はもちろんだが、寒空で渇ききった喉元に染み渡るビールの味はいつもでチンチャマシッソヨ(とても美味しい)なのだ。お腹を満たした我々はホンデの街へ繰り出し、スニーカー(店用)、その他諸々店の備品や食材を買い込む。夜半、空中キャンプへ移動し再び三人と合流。店長G、はじめましてとご挨拶。ジンソンから’焼肉(サムギョプサル)行こうよ!!’と打診、もちろん答えはYESだ。炭でモクモクになりながらワイワイと円卓テーブルを囲んで食べるサムギョプサルの美味しいことよ。店長Gもほくほく顔ですね。嬉しいひと時。スナック菓子を買い込んで、再び空中キャンプへ戻り音楽を聴いたりバカ笑いしたり。気づくとやっぱり朝方に。明日の早朝は友人S君が渡韓する。S君は1泊2日の強行旅行(来てくれる勇ましさに感服している。ありがとう。)。存分に楽しんでもらいたい。アテンド準備はバッチリだぜ。


3日目

ホンデ駅、エアポートターミナル出口を出て直進すると右手側に’ダンキンドーナツ’ある。ここをS君との集合場所にした。見知らぬ土地の駅前で待ち合わせするってなんだか新鮮だよね。朝7時、無事にS君と合流。一旦ホテルに荷物を置いてウルチロサムガ駅に到着。私の大好きなカンジャンシジャン(市場)へ向かう。早朝の市場にはまださほど動きはないが、必ずオープンしているトースト屋(屋台)がある。店長GとS君はそこでカンジャントースト、私はインスタントコーヒー。トーストを一口もらう。うまい、うまいのよ。なんてこない味なんだけど、うまい、うまいのよ。薄ーいコーヒーと合う、合うのよ。目下続々と開店準備中の市場をゆっくりと探索しつつ、そのまま歩きながら東大門市場をひやかして、せっかくならばと、観光スポットのメッカ’明洞(ミョンドン)’到着。オリーブヤング(コスメティックショップ)で空中キャンプのスタッフに教示してもらった化粧品を購入する店長G(よかったね!!)。時計の針は11時を過ぎたあたり、我々男2人はスニーカーを物色しつつも、そろそろガソリン(お酒)を補給したいところだ。再びカンジャンシジャンに戻り、初渡韓の方々には絶対に食してもらいたいピンデトッ(チヂミ)屋さんへ。この市場にピンデトッ屋は数件あるが、私の長年のリサーチにより訪れる店はこの店一択。熱々の緑豆チヂミとキムチ。うまい、うまいのよ。緑豆チヂミのお供はマッコリだ。これが合う、合うのよ。さらなる食を求め、我々はホンデ駅へと舞い戻り、お目当ての唐揚げ屋’レゲエチキン’へ直行するもまだオープンしておらず泣く泣く断念(残念すぎて店前で記念撮影をした)。レゲエチキン、レゲエチキン、私の愛して止まないレゲエチキン。読んで字のごとく、レゲエが流れる店内で幾多のフレバーチキンとビールをぐいぐい飲るお店なんですよ。次回の渡韓時には必ずや再訪を誓う(S君、次回は必ず行きましょう)。チキンを食べてホテルへ帰る作戦だった我々は肩をおとしたものの、帰りがげに気になっていたジャージャー麺屋で小腹を満たしつつ、一旦ホテルで休憩し、本日の夕食場所であるタッカンマリ屋(鶏の水炊き鍋のようなもの)へ向かった。タッカンマリの美味しさの説明はここでは割愛する、というか、友人みんなに食べてもらいたいんだよね。この美味しさを知ってしまうと、このためだけに渡韓してもいいかなぁ、なんて思えてくるんだよ(というか、必ず食べるし。行かないと機嫌が悪くなるかもレベルだ)。締めにククス(麺)とパプ(お米)も堪能、もちろんビールもしこたま飲み大満足。さてと、最後の終着駅、空中キャンプに行きましょうね。大親友のgo-mamaが営む店、空中キャンプ。go-mamaのおかげでこの店(空中キャンプ)でリラックした時間を過ごすことができるのだ。あらためて親友の大切さを実感し感謝する。目の前のカウンターでは店長GやS君が初めて会った新たな人々と言葉を交し国際交流をしている。彼女彼等にも今後何十年も寄り添うこととなる親友ができるのかもしれない。瞬間と永遠、素晴らしい時間だ。たっぷり(酒も)話し込んだキャンプからの帰り道、唐突に店長Gがカムジャタン(ジャガイモと豚肉の鍋)行きますか!!と提案してきた。深夜24時はとうに過ぎている。S君も笑顔で行きましょう!!と。こうなったら行くしかないよね~。何を隠そう我々の大好きなカムジャタン屋は24時間営業なのである。朝が近づく時間に大汗をかきながら3人で食べる鍋の味を私は忘れることはないだろう。目の前の鍋のエキスと同様、とっても’凝縮’された大切な思い出がまた一つ増えた瞬間だった。

お金のない時代に訪れる旅でしか見れない風景や経験(知恵)は確実に存在し、少し余裕が出た時に訪れる旅でしか見れない景色も必ず存在する。また、旅というものは失敗がつきものだが、自分の行動で失敗(と思っていた事)は成功に変わったりもする。どちらにせよ飛び込む勇気が必要だ。


繋がりを作るためにリアルに人と目を見て話して己の人生を蓄積していくのか、手っ取り早くインターネット(SNS)を使うのか。

幾多の経験や体験に重きをおくのか、どこにも飛び込まず現実のみを大切にするのか。

人それぞれだが、私は前者を選びたい。



韓国の大切な親友達に心から感謝します。

コマウォヨ~。

2024年の夏にまた会おうね。

日々:その三十九

12月1日(金)

気づくといつの間にか師走に。

本を読む。

雑誌を読む。

音楽を聴く。

大切な人々を思う。


12月3日(日)

取材当時89歳の菊池さんが「都営霞ヶ丘アパート」に引っ越してきたのは1989年のこと。アパートは建て替え前の競技場から目と鼻の先だった。2009年の「東京五輪招致活動」の際は、菊池さんは胸を躍らせ、「東京で五輪をもう一度」と、商店街にのぼり旗を立ててまわり、積極的に招致活動に加わったそうだ。そして、13年に今回の五輪開催が決まった時には心から喜んだという。ところが、当初は「コンパクト五輪」ということで改修で済むはずだった競技場が立て替えられることになり事態は急変する。故ザハ・ハディドが設計した8万人収容の新競技場は結果的に、菊池さんのアパートをのみ込む形だということが判明したのである。その後、莫大な建築費の問題がメディアで大きく取り沙汰され、最終的にザハ案は白紙撤回された。それでもアパート解体の方針は変わらず、住民たちは立ち退きを迫られることになった。反対の声を上げたのは、約130世帯のうち菊池さんを含むわずか5、6世帯。町内会が移転を引っ張る中で菊池さんたちは圧倒的な少数派だった。高齢の住民が多く、ほとんどの人たちは諦めることを迫られていたのだ。そして菊池さんたちの悲痛な叫びは無視された。別に何が何でも転居に反対だったわけでないと、転居先の都営アパートの一室で菊池さんは当時のことを振り返る。実は、菊池さんは勤め先の工場で事故で若いころに利き腕の右腕を失っている。左腕にも障害がある。荷物は高いところに上げられず、その代わりに色々な荷物を床に置くためのスペースが必要だった。霞ヶ丘アパートの間取りは2DKだったそうだ。「だから新居は同じ程度の環境にしてほしい」。それがせめてもの願いだった。ところが、独り身であることを理由に1DKの部屋に移るよう命じられた。さらに追いうちをかけたのが都からの補償金だ。その額はわずか17万1000円。引越し代にもならない。金が全てではないがオリンピックの開催には総額3兆円もかけているのに、こんな理不尽な話があるだろうか。このてんまつを記録し、2021年の夏に全国公開されたドキュメンタリー映画「東京オリンピック2017 都立霞ヶ丘アパート」(青山真也監督)には、16年の真冬、菊池さんが引越し代節約のためにリヤカーに必死で荷物を載せ、一人で新居まで引いていくシーンがある。その横を高校生とおぼしき野球部の集団が走りすぎてゆく。困った老人に手を貸すどころか邪魔だと言わんばかりに。冷酷さに胸が締め付けられた。それから5年。住民たちは主に三つの都営アパートへバラバラになり、霞ヶ丘アパートのコミュニティは解体された。高齢での引越しはストレスも大きく、新天地に慣れないまま亡くなった人も少なくないという。「もっと、高齢の住民に配慮した移転方法があったのではないか」と長期にわたり彼らを見続けてきた青山監督は憤る。では現在、霞ヶ丘アパートが建っていた場所や隣接していた明治公園はどうなったのか。青山監督の案内で跡地を歩いた。フェンスで囲まれていて入ることはできなかったが、そこには五輪報道用の特設テレビスタジオや建設会社の仮設事務所が建っていた。そしてそのすぐ隣には、新しく建った、高級分譲マンションのザ・コート神宮外苑、日本オリンピック委員会(IOC)の事務所などがある「ジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア」、日本青年館という3棟の高層ビルが私たちを見下ろすようにそびえていた。さらに今後も建設ラッシュが続く予定だ。国立競技場に建て替えに伴う再整備によって、この辺りの高さ制限は15メートルから80メートルまで大幅に緩和されたという。だがここでのポイントは、競技場にいくらなんでも80メートルの高さは必要ないということだ。つまり高層ビルのための緩和だったのではないか。しかも霞ヶ丘アパート跡地を区画道路にすることでマンションの建ぺい率と容積率を最大限に利用可能にしたと青山さんは指摘する。

斎藤幸平著「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと戦い、水俣で泣いた」

’五輪の陰 成長へひた走る暴力性’より抜粋。

全くもって言葉が出ない‥。

気力を無くしてしまう。

本を閉じ、老眼鏡を外してしばらく瞼をつぶる。

私は疲れてしまった。

疲れてしまった。


12月4日(月)

7時起床。

珈琲を淹れる。

BGMはYo-Yo Ma’バッハ Cello Suites Nos 1,5&6’

店長Gから誕生日プレゼントにもらった写真集を眺める。

目線の先には本棚があり、

これまた誕生日にスッタフSからもらったリヒトミューレが飾ってある。

幸せに包まれている。


12月5日(火)

買い出しの途中、小一時間空いたので、どこかで本を読むか事務作業をと思い、車を走らせていると大きく’M’の看板、マクドナルドへ入店した。

数億年ぶりにメニューを眺めたが、眺めたところでどこに何が表示されているか四苦八苦してしまう。

結局、ホットコーヒーのみを注文。

昼時もあって店内は混んでいた。

ハンバーガーとポテトの匂いが店内に充満しているが、全くもって食べたいと思わない自分がいる。四人座れるボックス席に座ってしまい、申し訳ない気持ちに。

ある時期、贔屓にしていたホテルがあって半年に一度訪れていたグアム島。

タモンベイにはバーガーキングがあって、訪れるたびに食べるのを楽しみにしていた。

あの時の自分はどこに行ってしまったのだろう。


12月14日(木)

パスポートの申請。いつもの5年間用パスポート。

10年パスポート、なんだか色そのものが馴染めなくて毎回5年用にしている。

あと、10年先ってなんだかイメージが湧かないんだよね。

旅の目標設定も5年先くらいまでがちょうど良い。

夕方、ディスクユニオンへ。

驚いた。

探していた、高柳昌行’もうひとつの自転するもの’見つける。

しかしながら、三万円以上の値がついている。

誰が値段を吊り上げるのか。

コレクターってのは総じてお金をいくらでも出して買い求めるのだろう。

私はそんな気にはなれないし興味がない。

ご縁がなかったと諦める。

500円と450円のレコードを2枚購入。


12月17日(日)

恋愛も死もどこからともなく唐突にやってくる。

準備ができないことが多い。

夕食は、蕎麦屋へ。

瓶麦酒と熱燗。

彼の死を思ったり、最近気になる人の事を想ったりする。

そんな逡巡する心を、板わさの横に鎮座する山葵で掻き消したい気分の日。


12月18日(月)

起き抜けにoasisのセカンドをターンテーブルに。

このバントの音楽病に犯されて約30年。

まだまだついてくよ。

夕方、年に一度の恒例行事。

取り寄せた蟹を食卓にて囲む日、黙々と淡々と。

キリッとした日本酒が五臓六腑に染み渡るのであった。


12月19日(火)

9時。ファミリーレストランで雑務をこなす。電卓を叩く。

夕方、自宅にて映画’ほつれる’鑑賞。

終盤の’木村くんに会いたい’ってセリフに参ってしまう。

自分が言われたら結構辛いなーなんて思った。

最終シーンの街並みが自分の知る土地(幕張新都心)で映画の世界から、

一気に現実に戻ってしまい、冷めてしまう。


12月20日(水)

キックバックって、なんとなくゆるいような言い回しだけど、結局裏金ですよね。

知らぬ存ぜぬなんて許されるものではない。各々の政治家の棒読み釈明に私は頭にきている。

社会を牛耳る権力者は、我々一般庶民に対して都合の悪いことは決して教えてくれない。もちろん、学校でも教えてくれない(エッジの効いた美術や音楽の先生とかがいれば教えれくれるかも)。幼少期からの刷り込まれた価値観を覆すには、自ら疑問を持ち、自ら学び、そして行動に移すしかない。

あとは信用できる人間を見つける事が大切だ。

自分の幸福度は人々との関係性が重要となってくる。

数字で表せるものなんて、たいていどうでもいい。


12月22日(金)

冬はどうしても出不精になる。

こんな時期こそ街へ出て、好きな酒場に顔を出し、

共鳴する人々と酒食をともにして自分の居場所を忘れないようにする。

人生を楽しむ。

老いることを恐れずに。


12月25日(月)

暮れが近づくと、ここ数年思い出すことがある。

2015年の暮れは、都内某所で雑務に追われていた。

その日、結局終電をなくした私は、一人、街を彷徨っていた。

佇まいの良さそうな居酒屋が視界に入る。

酒でも飲んで始発を待つか、、。

静かに暖簾をくぐると、コの字のカウンター。この店にBGMはなかった。

向かい側には先客が二名。

夫婦と思しき男女が酒を酌み交わしている。

一瞬にして私は見惚れてしまった。

女性は艶やかで、清く姿勢を正し、ゆっくりと熱燗(だと思う。徳利だったから)を飲っていた。

男性は少し酩酊気味だが、とても楽しそうで幸せな顔。

夫婦の酒の交わし具合を恍惚と眺めていた私に、唐突に夫が私に話かけてきたのである。

夫『君、音楽は好きかい?』

私『もちろんです』

夫『僕はここに(居酒屋)訪れる前に自宅でジミ・ヘンドリックスを聴いていたんだよ。君は普段どんな音楽聴いているの?』

私『色々拝聴しますが、今夜は終電を逃してしまってここ(居酒屋)に辿り着いたんです。今はフランク・ザッパを聴きたい気分ですね。』

夫『終電を逃した君。ザッパのどのアルバムが聴きたいかい?』

私『(少し考えて)ザッパのソロ二作目。『ホット・ラッツ』ですね。今夜は、もうどうにでもなれって感じです。』

私の答えを聞いたあと、夫の少しニヤけた顔が印象に残った。

隣の奥様は夫と私のカウンター越しの音楽談義にゆっくりを頷きつつも、

会話には入ってこない。私は終始平静を装う。

夫(隣の奥様に対して)『いい?一緒に』と。

奥『はい。喜んで(ニコッと笑顔で)。』(私はもう完全にノックアウト状態)

夫『君、こっちの席来て、よかったら三人で飲もうよ』

私『ありがとうございます。』

カウンター越しに佇む愛らしいご夫婦は、

沢田研二さんと田中裕子さんだった。

私はこの真冬の気絶しそうな出来事を、いまだに’夢だったのではないか’と思っているのだが、

日付の入った彼のサインやメモを所持しているということは’本当の出来事’だったという事だろう。


12月31日(日)

楽しさや美しさ健やかさよりも、なんだか悲しみが勝る一年だったような気がします。

私はささやかですが、毎日祈っています。

そして今後も祈り続ける事でしょう。

どうか、周りで困っている方がいたら助けて下さい。

困っている人は遠慮なく声をかけて下さい。

手を離さないで下さい。

一人一人の支え合いがあれば、その日は少しだけでも幸せになれると信じていいます。

今年も一年ありがとうございました。

日々:その三十八

11月1日(水)

2023年があと2ヶ月だなんて‥。

信じられない。


11月2日(木)

常夜鍋。

取り寄せている昆布しょうゆと共に。


11月3日(金)

愛車の修理が終わったと整備会社から連絡。

朝すぐに引き取りに。

古い車だから所々に修理が必要。

それなりに痛い失費であるが、とても気に入ってる車だから大切に乗って行きたい。


11月6日(月)

朝8時半。職人の出勤時間はきっちりとしている。

店の3階、内装工事の進捗状況と要望について立ち会いミーティング。

昼時、店長Gと待ち合わせ。

先週は怒涛の忙しさであった為、美味しいハンバーグでも食べようと提案。

瓶ビール、赤ワイン。

前菜にサラダ、鉄板に乗せられたハンバーグを堪能し解散。

夕方は実家へ。

食卓にはハンバーグ…。

何があっても実家で食べるご飯が一番。

幸せを噛み締めながらいただく。


11月7日(火)

7時起床。

8時半に自宅を出て店の買い出し、直売所3軒を回る。

季節の移ろいとともに野菜にも変化が現れている。

いつものレジのおばさまに’おはようございます!!’と、ご挨拶。

おばさまからもありったけの笑顔で挨拶をいただき、

そして、’余ってるから持ってて~’とミニトマトをいただいた。

こういうのって都会のスーパーでは絶対に有り得ない。

僕らは機械ではない。

人間対人間なのだ。

次来る時には店の塩きなこクッキー持ってきますね~!!と返事を返す。

帰宅後、簡単にご飯を済ませて鴨川方面へ。

いつものホテル、7階に鎮座する海の見える日帰り温泉へ。

この時間はほぼ貸切状態(というかこの時間を狙って伺っているのだが)でとても気分が良い。

ゆーっくりと、潮風と海の音を感じながらの露天風呂。

サウナも良いけど、やっぱり風景を眺めながら入る風呂が好きだな。

熱った身体で安房鴨川駅前のイオンへ。

2階の隅っこに設けられたCD安売りコーナーで、テレサ・テンのバラード集とアリスのベスト盤のCDを購入。

小腹が空き、名店立喰そば(実際には座り席)’両国’にて遅めの昼食。

21時就寝。

身体を休める日。

メンテナンスの日。


11月9日(水)

最初に言っておくと、文句ではなく(政策、増税などはまた別の話として‥)

提案です。

総理。

原稿見てないで、自分の言葉で話してみるのはいかがでしょうか。

間違ってもいいじゃないですか、修正して謝れば。

事前に用意した原稿はすでに半分死んでいます。

それ(いつも)棒読みでしょ。

気持ち伝わりませんからね。

強烈なリーダーシップが必要だと思うんですよね。

逆にチャンスですよ、今(もう無理かなぁ‥)。


11月10日(木)

大迫選手の記事などを拝見すると背筋がピンとなります。

マラソン選手というカテゴライズではなく、人間力がとても大事なんだと思う。

突き動かす力だったり、そんなのものを私は大迫選手から勝手に学んでいる。

一人の表現者として、とても尊敬している。


11月12日(日)

空気公団のライブ。

9月の日記で前出した弊店ライブスタッフのAくんが今回も出勤してくれる。

周りも見えていて(緊張はしているけど)、

しっかりと良い動きをしてくれてとても感謝している。

彼は現在大学3年生。海外に行ったことがないそうだ(それはそうだよね‥一番時間のある時期がコロナ禍直撃だったもんね)。

来年行う予定の弊店が企画する韓国ライブ公演に、私は彼を同行させたいと思っている。経験をたくさん積んでほしい。

まだ見ぬ知らぬ土地を体感して、緊張しながらもゆっくりと呼吸してほしい。


11月13日(月)

昨日のライブの余韻を残しつつ、早朝に自宅2帰着。

すぐさま身支度を整えて、410号線を南下し大山千枚田近辺の目的地のマーケットに顔を出す。

思ってた期待と収穫はなし。まぁ、これはこれでOK。

行動、行くことが大事。

ここからはあてのない旅。

地図をパラパラとめくり行ったり来たりしていると、完全無農薬みかん園へたどり着いた。

嘘のような本当の話で、標高の高いそこには絶景が広がっていて、

園主のありがたい計らいで、図らずもその場でみかん狩りもさせてもらった。

もぎったばかりの完全無農薬みかんは、癖になりそうな酸味がありとっても素晴らしい味だった。

今はすぐに情報を探せる時代だけど、そこにあるとわかってたどり着いてもとてもつまらない。

みかんを頬張りながら、ネット検索では絶対にたどり着かない事実がやっぱり存在することを確信した。


11月14日(火)

ホン・サンス’逃げた女’鑑賞。

キム・セビョクがこちらに振り向いた瞬間、ドキドキしてしまう。

もっとも好きな女優だから。

3人の女友達と再会。女たちの迷いと優しさ。

ストーリー中、何度も話に出てくる出張中の旦那や別れた旦那、上に住んでいる最近気になっているという別居中の男性は劇中に一度も登場しない。人の気配が余韻に残る印象深い映画だった。


11月15日(水)

横田めぐみさん北朝鮮拉致から46年とラジオから。

母親の横田早紀江さんのコメント、

’一日も早く返して’

’救出するために全国で公演や著名活動を行い、歴代の総理大臣にもお願いし続けてきたのになぜこんなにも動かないのか不思議でなりません。まったく進展がないいらだちとむなしさと悲しい気持ちでいっぱいです’

おそらく日本人の大半が周知しているであろうこの事実。

私の記憶が正しければ、日朝首脳会談が行われたのは、

小泉政権の2002年と2004年だったと思う。

約20年の間、政府は何をしてきたのか。

私には理解できない。


11月17日(金)

日経新聞

’ビッグモーター買収検討、創業家関与なしが条件’

まぁ、商社は、ほっとかないよね。


11月18日(土)

共同通信

’機密費でIOC委員に贈答と発言 五輪誘致で馳浩知事、後に撤回’

’石川県の馳浩知事が17日、東京都内の会合で講演し、13年に開催が決定した東京五輪の招致活動で、開催都市決定の投票権を持つ国際オリンピック委員会(IOC)委員に対し、内閣官房報償費(機密費)を用いて贈答品を渡したと発言した。馳氏は同日夜「誤解を与えかねない不適切な発言であり、全面的に撤回する」とのコメントを出した。公表されていない機密費の使途に言及するのは異例。贈り物の授受が事実ならIOCの倫理規定に触れる可能性もある。自民党で東京五輪の招致推進本部長だった馳氏は、当時の安倍晋三首相から「必ず勝ち取れ」「金はいくらでも出す。官房機密費もあるから」と告げられたと述べた。当時100人余りのIOC委員に対し、それぞれの選手時代などの写真をまとめた1冊20万円のアルバムを全員分、作成したと説明。「それを持って世界中を歩き回った」と話し、棒高跳びで活躍したセルゲイ・ブブカ氏らに渡したとした。会合はスポーツ振興に関するフォーラムで、全国の自治体関係者ら約90人が参加。報道陣にも公開されていた。’

汚職のオンパレードですね。

「金はいくらでも出す。官房機密費もあるから」

「一冊20万円のアルバム」

気持ちわるすぎ。

本当におわってる。最悪。


11月22日(水)

会食。

経営論、税理士、節税、経費、インボイス。

飲み物が麦酒から赤ワインに切り替わったあたりから、

気づくと全く違う恋の話や旅の話へとシフトチェンジしていた。

酒場を3軒はしご。

不思議と酔ってはいない。


11月23日(木)

浪漫革命のライブ@渋谷WWW。

大好きな5人組、このまま突っ走ってほしいな。

奏太くん、お誘いありがとう。


11月27日(月)

疲労した身体、熱いシャワーを浴びるようにJAZZを聴きたい。

自宅2への帰り道。

アートブレイキーのアルバム’アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズ’を車中爆音で。

リー・モーガンのトランペットが愛車全体にに響き渡る。

遡る事、1972年。

場所は、ニューヨークのとあるジャズクラブ。

内縁の妻から拳銃で撃たれてこの世を去った当時33歳の稀代なトランペッター。

魔都、マネー、音楽、夜、酒、女、ドラッグ、裏切り。

夜が始まる前に散歩へと出かけた。

今夜は満月だ。


11月28日(火)

Q:今、一番欲しいものは何ですか?

A:’時間です。’

休みは無い。私の生き方には。

規定の社会に属さずに自分で仕事を選択をし、

表現者として生きていくと決意したのは自分自身なのだ。

行けるところまで行き、やれるまでやる。

明日のことなんてわからない。

今日を生きるんだ。

それが明日に繋がるんだ。