日々:その四十

2月1日(木)

何かを変えたければ、まずは自分が変わること。

人任せにしてはいけない。

まずは自分自身から。


2月2日(金)

新しいプロジェクトをはじめる事になった。

構想は数年前から。機は熟したのかな。

私含めメンバー3人で神田駅の居酒屋で膝を突き合わせての作戦会議の日。

キーワードをノートに書き綴る。

やると言ったらやるよ。

怖いのは百も承知、時間に余裕なんてない。だけど。

待ってたって向こうから出来上がった状態で「どうぞー」なんてやってこないからね。

やるんだよ、やりたいたからやるんだよ。


2月3日(土)

おにぎりは買うものではなく、常に、握るものでありたいなぁと。

やっぱり美味しいよ。握ったおにぎりは。


2月4日(日)

BBCニュース

’クリムト作の肖像画が約100年ぶりに発見 4月に競売へ’

オーストリア出身の画家グスタフ・クリムト作で、100年近く行方が分からなくなっていた肖像画が発見された。4月24日に競売にかけられる。

「イム・キンスキー」によると、クリムト作の肖像画「リーゼル嬢の肖像」はその晩年に描かれたもので、かつてはオーストリア在住のユダヤ人家族が所有していた。1925年の展覧会出品を最後に行方が分からなくなっていた。「世間に知られないまま、オーストリア市民が何十年にもわたり個人所蔵していた」という。

「イム・キンスキー」は、「リーゼル嬢の肖像画」の資産価値は5400万ドル(約80億円)を超えるとしている。

「これほど希少で芸術的に重要かつ価値の高い絵画が、中央ヨーロッパの美術品市場に出品されるのは数十年ぶり」で、「衝撃的」な発見だと「イム・キンスキー」は説明した。

こういうニュースっていいよねぇ。

時空を超えた夢があるっていうか。超大作が世界のどこかに今でもひっそりとたくさん眠っているんだうね。(競売には興味ないけど‥‥)


2月5日(月)

皇室にも献上される直径約0.3mの超極細麺「白髪」。購入したい。


2月6日(火)

起床。ベッドの中で読みかけの本をすぐ手に取る(老眼鏡をかけつつ)。

珈琲を一杯。

取引先への請求書を作成したり、午前中は事務作業に精を出す。

家にある残り物で簡単に昼食。

自宅を出て図書館へ向かう。みっちり3時間程勉強に勤しむ。

その後、古本屋へ行き文庫本二冊購入。

帰宅。

日が暮れる前に洗濯物をたたみ、エッセイ本一冊読了。

簡単な夕食後、メモ帳の整理や今週行うべき事をノートに書き出しつつ、

読みかけのもう一冊の本に手を出してしまう。

気づけば、2時間経過。

誰とも会わず、派手さは全くないが、充実した1日であった。

こんな1日が私の心をとても満たしてくれるのだ。


2月7日(水)

道からは外れた。なんて言い方があるけども、

道なんてものは自分で切り拓けばいい。

人からとやかく言われる筋合いはないと思う。

特に若者には大いに道を外してもらいたい。

そして、教育者にも馴れ合いの道ではなくて、一人一人の道を教えてもらいたものである。

みんな一緒じゃつまらないし、退屈で窮屈な世の中になってしまうよ。


2月8日(木)

’衝撃波で窓ガラスがガタガタと音を立て、外では振動のせいで車の警報装置もあちこちで鳴る。鳥がけたたましく鳴いている。やや遅れて空襲警報が鳴り始めた。宿の廊下では誰かが慌てて走り去っていく足音が聞こえる。続くように私も地下シェルターへ向かう。ウクライナでは旧ソ連時代にアメリカとの核戦争を想定して、冷戦時に街のあらゆるところにシェルターが作られた。そのシェルターをロシアの攻撃から身を守るために使うとは皮肉なものだ。’

Hironori KODAMA 「Notes in Ukraine」より抜粋。

戦争は続いている。

私の日常はどうだろうか。

何より怖いのは無関心になること。

自分に言い聞かせる。


2月13日(火)

三宅唱監督’夜明けのすべて’鑑賞。

断言するが、今年一番の傑作だと思う。

というか、日本映画史に残るべき作品だ。

上映中、あと何回劇場で観れるかな。

今の自分にはヴィム・ベンダース監督の’PERFECT DAYS’には、正直馴染めなかった。


2月14日(水)

’なんとかなる’って言うけども、その前が大事なのよ。

なんとかなるってのは、なんとかなるように日々準備や行動している人が言えること。

薄っぺらい’なんとかなる’って言葉。すぐに消えてなくなるよ。


2月20日(火)

エメラルド・フェネル監督’ソルバートン’鑑賞。

前作’プロミシング・ヤング・ウーマン’にも強烈に衝撃をくらったが、

今作はそれをも大いに越してきましたね。

素晴らしい。


2月24日(土)

大切な方のお父様が退院との報告あり。

自分のことのように嬉しい。

どうかご安静に。

まだまだ人生を楽しみましょう。


2月25日(日)

コンビニで久しぶりにお買い物。

せっかくだから、店内のウロウロしてみる。

高いね!!コンビニって。

しばらくまた行かないな。

勉強になります。


2月27日(火)

北國新聞

’ブルーインパルス 能登へ 3月16日 被災地激励’

北陸新幹線金沢―敦賀間が開業する3月16日に石川、福井両県の上空を飛ぶ航空自衛隊の「ブルーインパルス」について、木原稔防衛相は27日、能登半島地震の被災地上空でも飛行させる考えを示した。衆院予算委員会分科会で「被災者を元気づける方法として意義がある。実現に向けた調整を前向きに進める」と述べた。

ブルーインパルスは延伸開業の記念イベントで、小松や加賀温泉など新駅周辺の上空を飛行することが決まっている。木原氏は「能登半島の被災者を激励したい」と話し、石川県などと連携して準備を進めるとした。自民党の小森卓郎衆院議員が質問した。

元気付ける方法。

飛行機で激励ですか。

被災地を上空から眺める気分はどうなんだい。

元気づけ、できるのかな‥‥。

私にはこの行動の意味がわからない。

わからない私が馬鹿なのかな。


2月28日(水)

行動から起こる後悔(失敗)の後味は悪くないものだ。

行動しなかった後悔は、もう味わいたくないな。


2月29日(木)

代替えが不可能なもの。

それは言葉。

大切な元同僚の悲報。

本当に本当に心から。

ありがとうございました。

どうぞ安らかに。


3月6日(水)

店を17時半に退社。

御茶ノ水駅にて打ち合わせ。


3月10日(日)

元スタッフのMちゃんが来店。パートナーのO氏と共に。

結婚のご挨拶に実家に帰ってきたそうだ。

ありがとう。


3月11日(月)

黙祷。

自宅にMさんと店長G。

あっという間に8時間越え。笑った~。楽しかった~。


3月12日(火)

朝一で本千葉駅の消防局へ防火管理責任者の更新講習へ向かう。

事前にオンライン申請で全てを済ませて、会場に向かうと長蛇の列。

もちろんそこを通りぬけてすんなり講習会場へ入れるのだろうと思ったら、

全ての書類を照らし合わせるために、全員この列に並んでもらいますと。絶句。

さらに、テキスト代(こちらも事前に振込済み)の領収書を頂きたいと申し出ると、

あちらの列に並んで下さいと(こちらも結構な並び)‥。絶句。

12時半講習終了。

’えびすや’で美味しいランチをいただき(久方ぶりにお伺いしたけどやはり良店ですね)、

千葉そごうの地下一階でホワイトデーのお返しをいくつか購入。

愛車の車検が迫っているので、いつもの整備工場へ向かい事前点検と見積もり。

映画’落下の解剖学’時間合わず断念(最近映画のタイミングが合わない)。

一旦自宅へ戻り洗濯物をしまい木更津駅へ移動。

いつもの居酒屋。こんな大雨の時こそ好きな店に顔を出して美味しい食事と酒を飲み、お金を使うのだ。


3月13日(水)

最近、朝7時からオープンするファミリーレストランに行っている。

朝のルーティーンのちょっとした気分転換だ。

静まり返った店内は気持ちが良い。

モーニングも頼まずにドリンクバーだけ。

定員さんには申し訳ないがフル活用させてもらっている。

7時から1時間読書。あまり早い時間には先方に申し訳ないので、

8時半過ぎからメールの返信をして、それから自分自身の勉強をする。

いかに集中できるかが肝心だ。

9時半くらいになるとお客が入り始めるので10時前にそーっと撤収する。


3月14日(木)

仕事のできる人って、始める前から一つ一つのアクション対して終わり方もイメージできている人なんだと思う。あと自分の後ろ姿を確認できる人。

少し話は逸れるが、私の経験上、後ろ姿が強く美しい人は仕事ができる人だと思っている。


3月15日(金)

共同通信

’自民、裏金相当額の寄付検討 能登半島地震被災地へ5億円’

自民党は派閥の政治資金パーティー裏金事件を巡り、安倍派議員ら85人が受け取った還流資金の相当額を寄付する方向で検討に入った。能登半島地震の被災地支援に充てる案が浮上している。還流資金を個人所得として納税しないのは脱税に当たると野党が追及しており、批判を回避する思惑もありそうだ。党関係者が13日明らかにした。

???裏金相当額の寄付???

なんでここで震災が出てくるのかな。

私にはこの行動の意味がわからない。

わからない私が馬鹿なのかな。


3月16日(土)

やっぱり一番大切なことは両親がいるということだと思う。

これには敵わないと思う(とはいえ片親の私は母親に大変感謝しているが)。

私は色々なことに躊躇している。誰のせいでもないのだが。

時々、両親がいたら、、、なんて考えてしまう。

わがままなのだろうか。


3月18日(月)

「いったん引退してから復帰したきっかけは、OLより走る方が手っ取り早くお金を稼げるから。それだけです」

「私に求められているのは勝つこと。それが私の仕事です。好きとか嫌いとか言ってる場合じゃなく、きれいごと抜きで結果第一優先っていうことですね」

「企業にとってアスリートは商品だと思うんです。看板なんです。その企業を背負っている宣伝部隊みたいなもの」

「どんなに昨日まで仲が良かったとしても。現在の仕事と人生にとってストレスだったり価値観が合わなくなったら、すぐ切ります。普段集団行動はあまりしないし、1日の八割は一人でいます」

ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け 平松洋子著より

新谷 仁美選手の発言。

凛としていて、一発で好きになった。

応援したいと切に思う。


3月21日(木)

会食。

経営者同士、色々あるよねぇなどと日本酒を呑みながら。

積もる話もしつつ、情報交換会。


3月20日(水)

久しぶりにHくん来店。

17周年のお祝いにビールをいただく。

ありがとう。


3月24日(日)

本日、店には出社せず成田へ向かう。高速は使用せず下道でゆっくりと。成田周辺に到着後、お寿司を食べてホテルにチェックイン。自分で制作した本日のイベント会場へ足を運ぶ。DJとライブ。茶飯事さん(ライブ演者)のリハを終えて、二人でもつ焼き’寅屋本店’へと向かった。この時点でイベントは大成功の予感しかない。


3月25日(月)

参道をゆっくりと歩き、駿河屋にIN。まずは瓶ビール、そして卵焼き。

その後に燗酒を一合、そして鰻重。至福~。

本堂前の蕎麦屋でごぼう味噌を購入。

成田、1泊2日の小旅行が終わった。

悩んでいた5日後の韓国行きの手配は中止とした。

もう少し今回の小旅行の余韻に浸りたいと思う。

しかしながら、明日にでも旅に行ける準備はしている。

パスポートもあるし、ホテルなんて当日予約ができる時代になった。

私は旅を続ける。


3月26日(火)

6時半起床。外は雨。

映画を一本鑑賞(良い映画で満足)時間は9時を回ったところ。

図書館へ。メモとペン、一通りの新聞をチェックして自分の勉強へとシフトチェンジ。

退館したのは13時。

直売所へ向かう。

今にも雨が降りそう。


3月27日(水)

カカオ豆の価格推移が物凄い上げ方。

チョコレート高くなるかな。

オレンジジュースも引き続き高騰が続く。

原因はオレンジ果汁不足と円安。

日本はオレンジ果汁輸入量全体のうち、約6割をブラジルに依存していると、いつぞやの新聞からのメモ。近年、ブラジルで起きた天候不順などにより、オレンジ果汁の輸入量は減少傾向にある。5月あたりから店頭も品薄だろう。


3月28日(木)

この欲望は本当の欲望なのか。

いつでも疑問を持たなければならない。


3月29日(金)

駅構内、吉永小百合さんのポスター『50歳からの旅に、この一枚大人の休日倶楽部カード。』ほ~なんて眺めているが、私もあと数年で倶楽部会員に突入ではないか。びっくりだ。


3月30日(土)

店の評価を上げませんか?Googleの評価が・・・。なんてポイントアップ図る営業電話は頻繁にかかってくるんだけど、インターネット上やSNS上で査定してもらうために店を営業しているわけではありません。狭い世界で生きないようにしましょう。


3月30日(日)

忙しい時ほど、常に平常心であること。


後記)2024.5.14 PM4:15 

気づけば、3ヶ月ぶり??の更新となってしまいました。’ブログやめてしまったんですか?’とお言葉をいただくことが多々ありました。元旦の出来事からなんとなくパソコンから遠ざかってる自分がいて、細々と日記は書いていたのですが、なんだかなぁともやもやしたり、何もできないのに、地震や戦争が頭から離れなかったり。 Googleなどで検索をかけたら簡単に情報が手に入ってしまうのだけど、やっぱりそれっておかしいよなぁと思ったり。

このような渦中、私の読書量はいつもよりも増えて行きました(もしかしたら、何かに没頭したかったのかもしれません)。

ある一つの文章に辿り着き、なんなか清しくなったのを覚えています。

’家の玄関を出て見上げた先にある曇った空こそが全ての空であり、家から駅に向かう途中に感じるかすかな風に中に、もしかしたら世界の全てが、そして未知の世界にいたる通路が、かくされているのかもしれません’

背中を押してくれた瞬間でした。

ゆっくりと未知の世界を自分の足で進もうと思います。

なんだか、取り留めのない文章になってしましたね。

あなたは今どこで何をしていますか?

私は近所の公園でこの日記を書いています。

それではまた。

元日 / 渡韓日記

1月1日(月)

元旦というこの日が、我々日本にとって、

一年のいかなる日よりも大切な意味を持っているというのに。

しばらく言葉をつむぐのはやめようと思う。

心で祈る。

これからの人生の問いかけが始まった。




渡韓日記

1日目

10時半、成田空港へ向けて出発。羽田から出発の予定が、普段使用するANA(全日空)、自分の凡ミスでフライトチケットの取得に失敗。急遽、LCCにて仁川空港へ向かう事に。いつもの旅の相棒、RIMOWAのスーツケースはやめて、初心に戻りパックパック(PORTER ’EXTREMEシリーズ’)で行くことにした。デジタルカメラ、今回はリコーのGRを。第三ターミナル到着、まずはサッポロ黒ラベルを一本。本を忘れたことに気づき、空港内の書店で文庫本を一冊購入。さよなら日本、行ってきます。上空から、大切な人を思う。当たり前に人を大切に、難しいけど自分も大切に。日本列島を上空から眺める。被災地の方向へ目を閉じてそっと手を合わせた。
仁川空港到着。着いた瞬間、韓国の匂い。そうそう、この感じ。空港にてSIMを入れ替えてみたものの回線不可。何度やっても回線不可、不可、不可。一瞬にして頼みの綱は無くなった。まぁいいか。昔は携帯電話なんてなかったしー。イミグレーションすんなり通過。さてと、ここから電車で向かうか、バスで向かうか、タクシーで向かうか。スマホで調べることができないぞ~(いいねぇこのヒリヒリ感)。右ポケットに入れたと思っていた、お金(ウォン)も、どうやら忘れたらしい。もう、笑うしかないな。記憶を頼りに、仁川国際空港第一ターミナルから高速鉄道に乗り(韓国版Suicaのようなもの持参)。まず目指すのはホンデ駅だ。成田空港で購入した文庫本、デジタルメディアシティ駅を過ぎたあたりで読了。どうしよう、すでにここで読む本が無くなってしまった。車中の広告を眺めているうちにホンデ駅に到着。ここから地下鉄4号線に乗り換えてシンチョン駅に到着。7番出口のエスカレーターを登るきると、極寒の突風がお出迎え。サンキュー、好きだぜこの寒さ。駅前の屋台でおでんをつまみたいところだが、まずはホテルにチェックイン。12階からソウルの街並みを眺める。そういえば私は何をしにここに来たのか一瞬忘れてしまった。そうだそうだ、友人のカフェの24周年を祝いに来たのだ。今夜はその店で記念ライブが開催されるのだが事前情報ではチケットはソールドアウト、もちろん予約はしていない笑。今回の渡韓は、ソウルの友人には誰一人にも言わず内緒で来ている。エントランスで「今夜の公演はソールドなんです、残念ですが入店はできません」なんて言われても仕方があるまい。そしたら映画でも観に行って、二、三度訪れたことのある’ウッドストック’というミュージックバー(リクエスト可能、前回の旅ではピンクフロイドを爆音でお願いした)でも行ってみようか。なんてったって何をするにも自由の身(外は寒いけども‥)。寒空のソウルの街を一人歩く。小腹も空いてきたしそのこ小道の角にある’キンパ天国’(お店の名前)でチャムチキンパを食べたいなぁ、なーんて思っているうちに、友人の店’空中キャンプ’に到着した。すんなりとエントランスを通過、友人、目をまん丸くしてしてお出迎え。そりゃ、びっくりするよね。結局、すぐにカウンター内に座りアコースティックライブを堪能させていただく。終演後、友人のヒョクとパートナーのジンソン、ヒウォンが’どうやらコウヘイがキャンプにいるらしい’との情報をキャッチして、タクシーで駆けつけてくれた(感動、嬉しい!!)。抱き合いながら感動の再会。ビールで何度も何度も何度も乾杯。とっても嬉しい瞬間。’コウヘイ、明日の予定は?’とヒウォン。ノープランだと告げると、美味しいランチを食べに行こうと言ってくれる。もちろんOK。明日、12時にハプチョン駅の11番出口で待ち合わせることに。ライブ機材をスタッフと共に片付けて本日は終了。ホテル帰着は朝5時半過ぎ。ホテルの寝室でふと思う。私の人生は何処へ向かっているのだろうか。充実しすぎていて夢のようだ。


2日目

どういうわけか、二日酔いはない。そして私の携帯電話は相変わらず通信を許してくれない。シンチョン駅前(下北沢?のような場所)のホテルから隣のホンデ駅まで時間にして30分くらいだろうか、ゆっくりと歩いて向かうことにする(ちなみに数年前、この30分間の道のりを共に歩いたことがある人がいる。曽我部恵一さんだ。大切な思い出。)。駅と駅の中間地点、ひっそりとした裏通り、個人的にかなり影響を受けたカフェがあったのだが、残念ながら閉店(厳密には栄転と後に気付く)していた。途中、テイクアウトの珈琲屋(ソウルの街はたくさんコーヒーショップが存在する)で、アメリカーノを注文、とんでもなくサイズが大きくてそして熱い(そうだった、これも韓国スタイルだよね)。大都会のホンデ駅(渋谷?新宿?のような場所)から地下鉄にのりハプチョン駅に到着。無事にヒウォンと再会、彼女はビオラ奏者でスポーツ万能。最近は水泳に夢中のようだ(今年の夏にまた渡韓する際に、韓国のプロ野球を一緒に観にいく予定だ)。ビルとビルの合間を抜けてお目当ての店に向かう途中、ヒウォンが大声で’コウヘイ!!アーバンラット!!’と叫ぶ。我々の目の前を通り過ぎる都会のネズミ一匹。’アーバンラット’って良い響きだなぁと思った。’食同屋’毎年のようにミシュラン(2018年から毎年)を獲得するお店だそうだ。到着するとすでに長蛇の並。ここでヒョクとジンソンも合流。予約受付を済ませて、近くのカフェ’Beliecoffee roasters’へ移動。ヒョクに携帯のSIMが使えない旨を相談すると色々と設定をみてくれる。ヒョクは素晴らしいギタリスト、そして作詞作曲も手がけており、作家として本も上梓している。おまけに機械にめっぽう強いとても大切な親友。美味しいクロワッサンをシェアし珈琲を飲みつつ、談笑しつつも私の携帯と格闘すること1時間、私の携帯はヒョク手腕によって無事にSIM開通となった!!その瞬間、四人で立ち上がってみんなで手を叩きあい喜ぶ(周りのお客様、大変失礼しました)。早速、今夕に渡韓する店長Gに連絡して待ち合わせ場所を決めた(携帯使えると便利~)。あ、’食同屋’の澄んだスープのデジコムタンはとっても美しくて衝撃的でした。そして店の面構えも本当に素晴らしく勉強になりました。食後、一旦、ヒョク、ジンソン、ヒウォンを別れた私は、地下鉄に乗りホテルをチェックアウト。本日のゲストハウスにチェックインして、シンチョン駅の改札出口で店長Gと無事に合流。’とりあえず何食べたい?’’やっぱり最初は焼肉でしょ~’と店長G。だよね。いつもの焼肉屋へGO。焼肉はもちろんだが、寒空で渇ききった喉元に染み渡るビールの味はいつでもチンチャマシッソヨ(とても美味しい)なのだ。お腹を満たした我々はホンデの街へ繰り出し、スニーカー(店用)、その他諸々店の備品や食材を買い込む。夜半、空中キャンプへ移動し再び三人と合流。店長G、はじめましてとご挨拶。ジンソンから’焼肉(サムギョプサル)行こうよ!!’と打診、もちろん答えはYESだ。炭でモクモクになりながらワイワイと円卓テーブルを囲んで食べるサムギョプサルの美味しいことよ。店長Gもほくほく顔ですね。嬉しいひと時。スナック菓子を買い込んで、再び空中キャンプへ戻り音楽を聴いたりバカ笑いしたり。気づくとやっぱり朝方に。明日の早朝は友人S君が渡韓する。S君は1泊2日の強行旅行(来てくれる勇ましさに感服している。ありがとう。)。存分に楽しんでもらいたい。アテンド準備はバッチリだぜ。


3日目

ホンデ駅、エアポートターミナル出口を出て直進すると右手側に’ダンキンドーナツ’ある。ここをS君との集合場所にした。見知らぬ土地の駅前で待ち合わせするってなんだか新鮮だよね。朝7時、無事にS君と合流。一旦ホテルに荷物を置いてウルチロサムガ駅に到着。私の大好きなカンジャンシジャン(市場)へ向かう。早朝の市場にはまださほど動きはないが、必ずオープンしているトースト屋(屋台)がある。店長GとS君はそこでカンジャントースト、私はインスタントコーヒー。トーストを一口もらう。うまい、うまいのよ。なんてことない味なんだけど、うまい、うまいのよ。薄ーいコーヒーと合う、合うのよ。目下続々と開店準備中の市場をゆっくりと探索しつつ、そのまま歩きながら東大門市場をひやかして、せっかくならばと、観光スポットのメッカ’明洞(ミョンドン)’到着。オリーブヤング(コスメティックショップ)で空中キャンプのスタッフに教示してもらった化粧品を購入する店長G(よかったね!!)。時計の針は11時を過ぎたあたり、我々男2人はスニーカーを物色しつつも、そろそろガソリン(お酒)を補給したいところだ。再びカンジャンシジャンに戻り、初渡韓の方々には絶対に食してもらいたいピンデトッ(チヂミ)屋さんへ。この市場にピンデトッ屋は数件あるが、私の長年のリサーチにより訪れる店はこの店一択。熱々の緑豆チヂミとキムチ。うまい、うまいのよ。緑豆チヂミのお供はマッコリだ。これが合う、合うのよ。さらなる食を求め、我々はホンデ駅へと舞い戻り、お目当ての唐揚げ屋’レゲエチキン’へ直行するもまだオープンしておらず泣く泣く断念(残念すぎて店前で記念撮影をした)。レゲエチキン、レゲエチキン、私の愛して止まないレゲエチキン。読んで字のごとく、レゲエが流れる店内で幾多のフレバーチキンとビールをぐいぐい飲るお店なんですよ。次回の渡韓時には必ずや再訪を誓う(S君、次回は必ず行きましょう)。チキンを食べてホテルへ帰る作戦だった我々は肩をおとしたものの、帰りがげに気になっていたジャージャー麺屋で小腹を満たしつつ、一旦ホテルで休憩し、本日の夕食場所であるタッカンマリ屋(鶏の水炊き鍋のようなもの)へ向かった。タッカンマリの美味しさの説明はここでは割愛する、というか、友人みんなに食べてもらいたいんだよね。この美味しさを知ってしまうと、このためだけに渡韓してもいいかなぁ、なんて思えてくるんだよ(というか、必ず食べるし。行かないと機嫌が悪くなるかもレベルだ)。締めにククス(麺)とパプ(お米)も堪能、もちろんビールもしこたま飲み大満足。さてと、最後の終着駅、空中キャンプに行きましょうね。大親友のgo-mamaが営む店、空中キャンプ。go-mamaのおかげでこの店(空中キャンプ)でリラックスした時間を過ごすことができるのだ。あらためて親友の大切さを実感し感謝する。目の前のカウンターでは店長GやS君が初めて会った新たな人々と言葉を交し国際交流をしている。彼女彼等にも今後何十年も寄り添うこととなる親友ができるのかもしれない。瞬間と永遠、素晴らしい時間だ。たっぷり(酒も)話し込んだキャンプからの帰り道、唐突に店長Gがカムジャタン(ジャガイモと豚肉の鍋)行きますか!!と提案してきた。深夜24時はとうに過ぎている。S君も笑顔で行きましょう!!と。こうなったら行くしかないよね~。何を隠そう我々の大好きなカムジャタン屋は24時間営業なのである。朝が近づく時間に大汗をかきながら3人で食べる鍋の味を私は忘れることはないだろう。目の前の鍋のエキスと同様、とっても’凝縮’された大切な思い出がまた一つ増えた瞬間だった。

お金のない時代に訪れる旅でしか見れない風景や経験(知恵)は確実に存在し、少し余裕が出た時に訪れる旅でしか見れない景色も必ず存在する。また、旅というものは失敗がつきものだが、自分の行動で失敗(と思っていた事)は成功に変わったりもする。どちらにせよ飛び込む勇気が必要だ。


繋がりを作るためにリアルに人と目を見て話して己の人生を蓄積していくのか、手っ取り早くインターネット(SNS)を使うのか。

幾多の経験や体験に重きをおくのか、どこにも飛び込まず現実のみを大切にするのか。

人それぞれだが、私は前者を選びたい。



韓国の大切な親友達に心から感謝します。

コマウォヨ~。

2024年の夏にまた会おうね。

日々:その三十九

12月1日(金)

気づくといつの間にか師走に。

本を読む。

雑誌を読む。

音楽を聴く。

大切な人々を思う。


12月3日(日)

取材当時89歳の菊池さんが「都営霞ヶ丘アパート」に引っ越してきたのは1989年のこと。アパートは建て替え前の競技場から目と鼻の先だった。2009年の「東京五輪招致活動」の際は、菊池さんは胸を躍らせ、「東京で五輪をもう一度」と、商店街にのぼり旗を立ててまわり、積極的に招致活動に加わったそうだ。そして、13年に今回の五輪開催が決まった時には心から喜んだという。ところが、当初は「コンパクト五輪」ということで改修で済むはずだった競技場が立て替えられることになり事態は急変する。故ザハ・ハディドが設計した8万人収容の新競技場は結果的に、菊池さんのアパートをのみ込む形だということが判明したのである。その後、莫大な建築費の問題がメディアで大きく取り沙汰され、最終的にザハ案は白紙撤回された。それでもアパート解体の方針は変わらず、住民たちは立ち退きを迫られることになった。反対の声を上げたのは、約130世帯のうち菊池さんを含むわずか5、6世帯。町内会が移転を引っ張る中で菊池さんたちは圧倒的な少数派だった。高齢の住民が多く、ほとんどの人たちは諦めることを迫られていたのだ。そして菊池さんたちの悲痛な叫びは無視された。別に何が何でも転居に反対だったわけでないと、転居先の都営アパートの一室で菊池さんは当時のことを振り返る。実は、菊池さんは勤め先の工場で事故で若いころに利き腕の右腕を失っている。左腕にも障害がある。荷物は高いところに上げられず、その代わりに色々な荷物を床に置くためのスペースが必要だった。霞ヶ丘アパートの間取りは2DKだったそうだ。「だから新居は同じ程度の環境にしてほしい」。それがせめてもの願いだった。ところが、独り身であることを理由に1DKの部屋に移るよう命じられた。さらに追いうちをかけたのが都からの補償金だ。その額はわずか17万1000円。引越し代にもならない。金が全てではないがオリンピックの開催には総額3兆円もかけているのに、こんな理不尽な話があるだろうか。このてんまつを記録し、2021年の夏に全国公開されたドキュメンタリー映画「東京オリンピック2017 都立霞ヶ丘アパート」(青山真也監督)には、16年の真冬、菊池さんが引越し代節約のためにリヤカーに必死で荷物を載せ、一人で新居まで引いていくシーンがある。その横を高校生とおぼしき野球部の集団が走りすぎてゆく。困った老人に手を貸すどころか邪魔だと言わんばかりに。冷酷さに胸が締め付けられた。それから5年。住民たちは主に三つの都営アパートへバラバラになり、霞ヶ丘アパートのコミュニティは解体された。高齢での引越しはストレスも大きく、新天地に慣れないまま亡くなった人も少なくないという。「もっと、高齢の住民に配慮した移転方法があったのではないか」と長期にわたり彼らを見続けてきた青山監督は憤る。では現在、霞ヶ丘アパートが建っていた場所や隣接していた明治公園はどうなったのか。青山監督の案内で跡地を歩いた。フェンスで囲まれていて入ることはできなかったが、そこには五輪報道用の特設テレビスタジオや建設会社の仮設事務所が建っていた。そしてそのすぐ隣には、新しく建った、高級分譲マンションのザ・コート神宮外苑、日本オリンピック委員会(IOC)の事務所などがある「ジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア」、日本青年館という3棟の高層ビルが私たちを見下ろすようにそびえていた。さらに今後も建設ラッシュが続く予定だ。国立競技場に建て替えに伴う再整備によって、この辺りの高さ制限は15メートルから80メートルまで大幅に緩和されたという。だがここでのポイントは、競技場にいくらなんでも80メートルの高さは必要ないということだ。つまり高層ビルのための緩和だったのではないか。しかも霞ヶ丘アパート跡地を区画道路にすることでマンションの建ぺい率と容積率を最大限に利用可能にしたと青山さんは指摘する。

斎藤幸平著「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと戦い、水俣で泣いた」

’五輪の陰 成長へひた走る暴力性’より抜粋。

全くもって言葉が出ない‥。

気力を無くしてしまう。

本を閉じ、老眼鏡を外してしばらく瞼をつぶる。

私は疲れてしまった。

疲れてしまった。


12月4日(月)

7時起床。

珈琲を淹れる。

BGMはYo-Yo Ma’バッハ Cello Suites Nos 1,5&6’

店長Gから誕生日プレゼントにもらった写真集を眺める。

目線の先には本棚があり、

これまた誕生日にスッタフSからもらったリヒトミューレが飾ってある。

幸せに包まれている。


12月5日(火)

買い出しの途中、小一時間空いたので、どこかで本を読むか事務作業をと思い、車を走らせていると大きく’M’の看板、マクドナルドへ入店した。

数億年ぶりにメニューを眺めたが、眺めたところでどこに何が表示されているか四苦八苦してしまう。

結局、ホットコーヒーのみを注文。

昼時もあって店内は混んでいた。

ハンバーガーとポテトの匂いが店内に充満しているが、全くもって食べたいと思わない自分がいる。四人座れるボックス席に座ってしまい、申し訳ない気持ちに。

ある時期、贔屓にしていたホテルがあって半年に一度訪れていたグアム島。

タモンベイにはバーガーキングがあって、訪れるたびに食べるのを楽しみにしていた。

あの時の自分はどこに行ってしまったのだろう。


12月14日(木)

パスポートの申請。いつもの5年間用パスポート。

10年パスポート、なんだか色そのものが馴染めなくて毎回5年用にしている。

あと、10年先ってなんだかイメージが湧かないんだよね。

旅の目標設定も5年先くらいまでがちょうど良い。

夕方、ディスクユニオンへ。

驚いた。

探していた、高柳昌行’もうひとつの自転するもの’見つける。

しかしながら、三万円以上の値がついている。

誰が値段を吊り上げるのか。

コレクターってのは総じてお金をいくらでも出して買い求めるのだろう。

私はそんな気にはなれないし興味がない。

ご縁がなかったと諦める。

500円と450円のレコードを2枚購入。


12月17日(日)

恋愛も死もどこからともなく唐突にやってくる。

準備ができないことが多い。

夕食は、蕎麦屋へ。

瓶麦酒と熱燗。

彼の死を思ったり、最近気になる人の事を想ったりする。

そんな逡巡する心を、板わさの横に鎮座する山葵で掻き消したい気分の日。


12月18日(月)

起き抜けにoasisのセカンドをターンテーブルに。

このバントの音楽病に犯されて約30年。

まだまだついてくよ。

夕方、年に一度の恒例行事。

取り寄せた蟹を食卓にて囲む日、黙々と淡々と。

キリッとした日本酒が五臓六腑に染み渡るのであった。


12月19日(火)

9時。ファミリーレストランで雑務をこなす。電卓を叩く。

夕方、自宅にて映画’ほつれる’鑑賞。

終盤の’木村くんに会いたい’ってセリフに参ってしまう。

自分が言われたら結構辛いなーなんて思った。

最終シーンの街並みが自分の知る土地(幕張新都心)で映画の世界から、

一気に現実に戻ってしまい、冷めてしまう。


12月20日(水)

キックバックって、なんとなくゆるいような言い回しだけど、結局裏金ですよね。

知らぬ存ぜぬなんて許されるものではない。各々の政治家の棒読み釈明に私は頭にきている。

社会を牛耳る権力者は、我々一般庶民に対して都合の悪いことは決して教えてくれない。もちろん、学校でも教えてくれない(エッジの効いた美術や音楽の先生とかがいれば教えれくれるかも)。幼少期からの刷り込まれた価値観を覆すには、自ら疑問を持ち、自ら学び、そして行動に移すしかない。

あとは信用できる人間を見つける事が大切だ。

自分の幸福度は人々との関係性が重要となってくる。

数字で表せるものなんて、たいていどうでもいい。


12月22日(金)

冬はどうしても出不精になる。

こんな時期こそ街へ出て、好きな酒場に顔を出し、

共鳴する人々と酒食をともにして自分の居場所を忘れないようにする。

人生を楽しむ。

老いることを恐れずに。


12月25日(月)

暮れが近づくと、ここ数年思い出すことがある。

2015年の暮れは、都内某所で雑務に追われていた。

その日、結局終電をなくした私は、一人、街を彷徨っていた。

佇まいの良さそうな居酒屋が視界に入る。

酒でも飲んで始発を待つか、、。

静かに暖簾をくぐると、コの字のカウンター。この店にBGMはなかった。

向かい側には先客が二名。

夫婦と思しき男女が酒を酌み交わしている。

一瞬にして私は見惚れてしまった。

女性は艶やかで、清く姿勢を正し、ゆっくりと熱燗(だと思う。徳利だったから)を飲っていた。

男性は少し酩酊気味だが、とても楽しそうで幸せな顔。

夫婦の酒の交わし具合を恍惚と眺めていた私に、唐突に夫が私に話かけてきたのである。

夫『君、音楽は好きかい?』

私『もちろんです』

夫『僕はここに(居酒屋)訪れる前に自宅でジミ・ヘンドリックスを聴いていたんだよ。君は普段どんな音楽聴いているの?』

私『色々拝聴しますが、今夜は終電を逃してしまってここ(居酒屋)に辿り着いたんです。今はフランク・ザッパを聴きたい気分ですね。』

夫『終電を逃した君。ザッパのどのアルバムが聴きたいかい?』

私『(少し考えて)ザッパのソロ二作目。『ホット・ラッツ』ですね。今夜は、もうどうにでもなれって感じです。』

私の答えを聞いたあと、夫の少しニヤけた顔が印象に残った。

隣の奥様は夫と私のカウンター越しの音楽談義にゆっくりを頷きつつも、

会話には入ってこない。私は終始平静を装う。

夫(隣の奥様に対して)『いい?一緒に』と。

奥『はい。喜んで(ニコッと笑顔で)。』(私はもう完全にノックアウト状態)

夫『君、こっちの席来て、よかったら三人で飲もうよ』

私『ありがとうございます。』

カウンター越しに佇む愛らしいご夫婦は、

沢田研二さんと田中裕子さんだった。

私はこの真冬の気絶しそうな出来事を、いまだに’夢だったのではないか’と思っているのだが、

日付の入った彼のサインやメモを所持しているということは’本当の出来事’だったという事だろう。


12月31日(日)

楽しさや美しさ健やかさよりも、なんだか悲しみが勝る一年だったような気がします。

私はささやかですが、毎日祈っています。

そして今後も祈り続ける事でしょう。

どうか、周りで困っている方がいたら助けて下さい。

困っている人は遠慮なく声をかけて下さい。

手を離さないで下さい。

一人一人の支え合いがあれば、その日は少しだけでも幸せになれると信じていいます。

今年も一年ありがとうございました。